世界中の爆弾を花火に変えて!

今日は、夫の実家のある広島に家族全員で行ってきました。もちろん「こたろう」も一緒です。
こたろうは、室内犬なので、外でお水を飲むことも、トイレに行くこともできません。
写真は、車内で水を飲み終わった後の器をくわえているところです。


広島の家についてからもなかなかトイレが出来ず、12時間我慢をしてとうとう漏らしてしまいました。
年末はうまくトイレが出来たんですよ。

広島についたら、先祖代々のお墓参りです。風光明媚なところです。


お参りをするところに、こんなハガキとパンフレットがありました。

パンフレットには「8月6日『祈りの言葉』」と書いてありました。広島の宗教者は、被爆の翌年から
ここ爆心地に集まり、原爆で犠牲になられた方々のために祈り、二度と核兵器が使用されることがないよう
願い続けて来られました。

ハガキは「世界中の爆弾を花火に変えて!」ーヒロシマより祈りをこめてー
(CHANGE ALL BONBS ON EARTH INTO FIREWORKS)と書かれていました。

また今日は、気仙沼で支援している元同僚から、こんな写真が届きました。 


津波で乗り上げられた大型船です。
移動にも莫大なお金がかかるため、モニュメントにしたいと考えておられるとのことです。

神戸新聞には、気仙沼にボランティアに行った高校生の話が載っていました。
出発時には「何をしていいかわからない」と言っていた生徒たちが、自分がこれからできることは何かと
自問し、「自分にできることをしたい」と心に宿したとありました。

自分ができることは何かを自問することがまず一歩なのでしょう。
ずっと昔に座右の銘にしていた言葉をふと思い出しました。

「やりたいことをやるのではなく、やるべきことをやる」
私の、私たちのやるべきことは何でしょうか。


特攻隊の方と交わした言葉を聞きました

昨日尾上公民館に行って、加古川の飛行場のほか貴重な写真を見せて頂きましたが、
今朝の新聞で「加古川飛行場を記録する会」の上谷代表の講演会があることを知り行ってきました。

上谷氏の叔母さんは、尾上飛行場で航空分署に勤めておられたとのこと。当時、ここに就職される方は、
国民学校から1人しか採用されないほど、厳しい試験だったそうです。

播磨地方には3つの飛行場がありました。初めにできたのが尾上飛行場、次に兵庫県で唯一の海軍の
飛行場が加西にできました。そして、稲美町から三木市までの広い範囲の三木飛行場ができたのです。

昨日のブログにも書きましたが、特攻隊に飛び立つ半分が加古川飛行場を中継地点として、給油したり、
旅館で家族と面会したりされていたのです。上谷氏は、貴重な写真などから説明されました。


また、DVDを3本見せて頂きました。地元ケーブルテレビのバンバンテレビが「未来への遺産」と題し、
特攻隊に志願したものの、飛び立つ飛行機がなくて生き残った方の映像がありました。

今まで、映画などで特攻隊を取り上げたものを幾つか見てきましたが、今日ほど涙したものはありません。
生き残った方は、淡々と語られました。その当時は「死は鴻毛より軽し」と言われるほど、命を軽んじて
いたのです。それが戦争だったと話されていました。

また、空襲警報を発令するのは、若き電話交換手の女性たちでした。24時間体制で、現在の高砂
消防署のある監視塔で敵の飛行機を確認した知らせを受けて、各部署に連絡していたのは、10〜20代の女性たちだったのです。

彼女らは、たとえ危険が迫っても最後まで警戒警報や空襲警報などを発令しなければならず、逃げ出すことは許されませんでした。その責任の重さを十分理解しておられました。

その時の電話交換手の方が存命で、当時の様子を語られていたのです。電話交換手は、加古川飛行場にいた若きパイロットとも電話で交流があったそうです。ある時、近くの公園で会う約束をして、何気ない話をして別れた後、次の日に特攻隊として飛び立ったことを知らされたそうです。

その時に交わした言葉は、「僕は君たちを幸せにするために戦っているんだ」という内容だったそうです。
彼女の言葉がまた胸を詰まらせます。「どうして私と会ったのかと考えると、多分人恋しかったのでしょう」と。

飛び立つ前、上官が最後の訓示を垂れている写真がありました。
訓示の内容は、3つだったそうです。
〔槁検陛─砲定まるまで無線を切れ
¬槁犬魴茲瓩燭藺播鼎靴蹇屬燭世い泙ら突入」
8紊蓮¬祇をつないだままにしておくこと
だそうです。

基地を出発して、突入までの時間を記録していたのです。哀しい歴史です。
二度と起こしてはならないと思います。語り継がれていかなければなりません。


安心地域ケアつうしんを届けた先で

今日は、「安心できる地域ケアを考える会」のつうしんを持って市内を回りました。
行った先々でいろんなお話を伺います。今日は駐禁の話を2か所で聞きました。

デイサービスは利用者のお宅に送迎に行きます。本人や家族が準備できて、バスにスムーズに乗れる
方はいいのですが、1人暮らしだったり、認知症で支度ができない人には、職員が着替えや準備の手伝いをしています。そのわずかの時間に駐禁を取られるとのことでした。

私がヘルパーとして訪問していたことを思い出すと、駐車場が確保できない家が何軒ももありました。
その場合は、池や公園の周辺で住宅密集地でないところを探して駐車していましたが、駐車監視員によって厳しい取り締まりがありました。

人や車が通らないところでも取り締まられるのに、逆に明姫幹線のようなスピードがのるところや、
市街地の交差点付近で駐車している車は取り締まりません。加えて、外車や黒塗りの車が違法駐車
している場合も取り締まりません。介護を提供している車は善意の人だと認識され、駐車監視員の
格好の餌食になる気がしてなりませんでした。(少々過激な発言ですが)

介護に対して、報酬の低さだけでなく、介護に必要な支援さえ阻まれる環境が多くあると感じています。
怖いもの、関わりたくないものは見て見ぬ振りなのに、介護に関しては多くの人が関心を寄せています。
けれども、厳しい目も多いと感じています。

つうしんを持って行った尾上公民館では、「加古川飛行場の歴史」が展示されていました。
語り部の方からもお話を聞くことができました。


関東方面から知覧などへ、特攻隊で出陣する若者たちが、中継地点として降り立ったのが加古川の
飛行場なのです。休養と家族が面会するところが、寺家町にあった中村家旅館だったそうです。
中村家旅館が廃業された後は、特攻隊員の碑が鶴林寺の境内に安置されているそうです。

戦争の貴重な写真や文献を大切に守り、伝えていかなければならないと思います。


兵庫県代表は快勝でした

今朝は4時起き、5時出発で、6時前には3塁アルプス席入場門でスタンバイしていました。

開門が7時だったので、少しつらかったのですが、私の村のエースが出場するのですから、これくらい
何ともありません。兵庫県大会の決勝では加古川北高を応援していましたが、今は兵庫県代表の応援、
しかもエースの原君がご近所さんですから、村をあげての大応援団を組むことになったのです。

少年団でソフトボールをしている子供たちが、プラカードを持ちます。試合の始まる前に撮影しました。


試合が始まる直前、個人名のプラカードをあげるのはダメだと注意され、泣く泣く引っ込めることになりました。色々な制約があります。今は近畿圏の高校は、応援団のバスは禁止されています。

今日はうちの村から老若男女約60名の大陣営で、それぞれが熱い声援を送りました。
こんな機会が地域で顔なじみを作っていきます。

甲子園の名物おじさんの「たこ踊り」と一緒に声援した直後、スリーランホームランが出ました。


次回は15日。あいにく私は行けないのですが、このオジサンと一緒に声援を送れば、勝利間違いなし
という気がします。
球児たちはこの暑さの中、本当によく頑張りました。


今日は家族で

午前中は、来週の常任委員会の事前打ち合わせでした。
このたび福祉・環境常任委員会の副委員長を務めさせて頂くことになり、初めての打ち合わせだったのです。
議場棟の庭にはヒマワリが満開です。


午後からは、お盆のお参りをして頂いたり、お墓参りをしてきました。
普段はデイサービスに行っている母も、今日は休んで一緒にお参りしてもらいました。
娘たちもたまたま仕事が休みだったので賑やかでした。お墓はカンカン照りでした。


認知症の母と二人だけで過ごすのはしんどいですが、娘たちがいるとクッションになります。
直前のことは忘れて、何度も同じことを聞いたりしますが、声掛けと見守りがあれば大抵のことはできます。

今日は長女と三女、隣に住む姪と母との組み合わせで過ごしました。
関わる人を増やすこと、年を取るとはこういことだという風に見ればいいと思います。

この暑さの中、元同僚の市社協職員が気仙沼で支援活動をしています。今主にしている仕事は、
ボランティアのマッチングだそうです。連日たくさんの人がボランティアに来て下さるそうですが、
どこに行って頂くかを振り分けるのです。

朝は6時起き、7時には現地に出発して、宿舎に戻るのは夜遅く、それから会議などをするので、
いつも深夜になっているそうです。ミントバンドの発想はそこから生まれたのでしょうか。
こんな写真を送ってもらいました。


明日は4時起きで甲子園に行ってきます。
兵庫県代表の東洋大姫路の原投手は、ご近所さんです。村の応援団、総勢60人で行ってきます。


長崎原爆の日

控え室にいたら、庁内放送で原爆投下時刻の午前11時に「黙祷」とありましたので、1人捧げました。
市役所の玄関には、先日東北物産展のオープニングで書かれた「絆」が展示してありました。


その後、安心できる地域ケアを考える会の事務局に行き、市民向けの研修について相談をしていました。
市民の方に聞いてもらいたいことは、「看取り」や「尊厳死」など、人生の最期の過ごし方の提案なのですが、
「死」という言葉がまだまだ受け入れられないと感じています。

人は誰でも、老い、死ぬのです。そこを見たり、聞いたりしたくない人が多いのです。「ボケない方法」とか
「健康教室」のようなテーマには関心が高いのですが、最期をどこでどう過ごすのかを考える機会を
持つことも大切なのです。

夕方地域包括センターにお邪魔して、困りごとを聞いてきました。地域包括センターの役割の一つには、
地域のケアマネジャーの相談に応えることもあります。ケアマネジャーから多く相談されるのが、
身寄りがない人のことです。

施設や病院は保証人がないと入れないことは先日のブログでも書きましたが、こういった相談が増え続けています。措置の時代は施設に入るのに入所判定委員会がありましたから、このような心配はありませんでした。

現場の専門職を支える仕組みも必要ではないでしょうか。


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ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

WEB管理人

震災報道写真展

ヤマトヤシキ7階で開催されている、震災報道写真展を見に行ってきました。


津波の恐ろしさを伝えたものだけでなく、被災地で追悼の曲を奏でる演奏家や子どもたちの明るい笑顔を
捉えた写真は深い哀しみと共に、人々の優しさ、強さも伝えてくれます。

がんばろう東北!がんばろう日本!

甲子園でも連日熱闘が繰り広げられています。被災3県の球児たちは、本当に粘り強く闘いました。
日本中が被災地を応援して、みんなの心が一つになったように感じます。
この気持ちを持ち続けることが大切だと思います。

今日はほとんどの時間を控え室で過ごしました。目を通さなければならないものがたくさんあります。
来年度改正される介護保険についても勉強しなければなりません。

最近よく目につく新聞広告に「シニア向け分譲マンション」があります。謳い文句は、
「日常を支援する24時間体制の生活サービスを中心に、医療・介護サービスを充実させる。」とあります。

確かに、改正される介護保険制度の考え方の中に、特別養護老人ホームなどの施設への入所ではなく、
住み慣れた地域で安心して暮すことを可能とするよう、新たに創設される「サービス付き高齢者住宅」に
24時間対応の介護サービスを組み合わせるという提案がありますが・・・。

団塊の世代の方々は、どんなサービスを求め、選ばれるのでしょうか。

今度の改正は、これまでの予防重視というより、重度になっても安心して暮らす方向に転換するよう求めたいと思います。





今日も盛りだくさんです。

午前中は市民レガッタ大会に出場しました。市議会チームは「ウェルネス」と「清流」です。
私がコックスを務める「清流」は新人中心です。残念ながら決勝には残れませんでした。


お昼は久しぶりに次女が帰ってきたので、昼食や持って帰らせる副菜を作ったりとお母さんらしいところを
示しました。(笑)

その後娘たちと東北物産展に出かけ、アイスクリームのお店で立ち止まってしまいました。
津波でお店が流されたそうです。残った工場で再建しているとのこと。おいしくて珍しいアイスクリームが一杯です。石巻市の(有)風月堂さんです。
http://www.youtube.com/watch?v=Yunrgj50JZQ
他にも色々なお店が並んでいます。ぜひ応援してくださいね。


駅前でチャリティライブをしていました。友人の歌手「春川うらら」ちゃんが歌います。
市内の盆踊りで使われている「平成加古川音頭」は彼女の持ち歌です。


夜は「せいりょう園」夏祭りで、飲み物販売をお手伝いしました。


今日も暑い暑い一日でした。


広島原爆の日

今日は66年目の「原爆の日」。私は今回の震災による福島の原発事故が起きるまでは、原爆と
原発を結び付けて深く考えたことは、恥ずかしながらありませんでした。

今日の天声人語では、「原爆と原発。ともに核分裂の熱を使う。一つは人殺しに、一つは発電に。
しかし放射線は善悪をわきまえない」とありました。福島から広島原発20個分の放射性物質が飛散したと続いています。被爆国としてこのままでいいのかを1人1人が考えていかなければなりません。


今日の空は晴れ渡り、日差しの強い一日でした。市内各地で夏祭りが開催されました。
朝早くからたくさんの人たちが準備をされました。若い人の姿もあります。こんな時は地域の絆を感じます。
こちらは野口まつりの準備中。


こちらは陵南まつりのオープニングのスタンバイ。


野口まつりでは東日本の復興を願って、風船にメッセージを書いて飛ばしました。1200個あるそうです。
シャッターチャンスが遅くて風船が遠くに行ってしまいました。物産展でも支援します。喜多方ラーメンと福島の炊き込みご飯の素などを買いました。





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